せっかくのウラドの中に歯が入り込んでまあ。

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昨夜、つまみで海老せんべいを食べていたら歯の詰め物がぼろっと取れた。ああ本当に嫌。そのせいで今日はなんとなく力の入らない一日だった。何をやっていても「歯」を考えてしまうのだった。

今の時代、歯医者はこうすごく進化していて昔みたいに麻酔してもすげえ痛いみたいなこともなくなっているんだろうけど、だろうけどその頃のトラウマがあって歯医者恐怖症っぽく、おまけに顎関節症でもあるから口も大きく開かないから尚の事本気で逃亡企てるくらい苦手なのだった、歯医者。その字面を見ただけで震える。慣れるためにもう一度、歯医者。

必死に決意して通っても途中でやっぱりだめで、みたいなことを繰り返していて実は口の中大変なことになっていて、いっそ総入れ歯にしたらどうだろうかと本気で考えたこともある。それはそれで難儀なのだろうけれど。

頑張って磨いても、どんなに磨いてもなってしまう虫歯。これはもう体質なのだろうか。せっかくのGWが台無し、といっても自由業であるからあまり関係ないのだったよ。

写真は夢のウラド。夢にまでみた夢のウラド。

幻想文学というのでしょうか、神話? 神々がまだ人間と共存していた頃のお話がつらつらと。難しくて、よくわからないところもあったりするけど作品全体から流れる雰囲気みたいなものが独特で、読んでいるとその時代から今へ続く連なりのようなものを感じる。私がいるのは両親がいて祖父母がいてその祖父母にもまた両親や祖父母がいてってやっていく果てしなさ。この命は自分だけのものじゃないんだっつう重みのようなものがずっしりとくるのだった。

作者はフィオナ・マクラウドでありウィリアム・シャープである。亡くなってから実は同一人物だったということが判明したらしいのです。まだあとがきも読んでいないし、フィオナ・マクラウドとして書いた小説の途中までしか読んでいないのでどういうふうに書き分けていたのかということはわからないのだけれども、生き方としてとても興味がある。書き分けたということはそうする事情のようなものがあったのかもしれないし、ただそうしたかっただけかもしれない。

今の時代では、ネットの中ではまるで別人という人も少なくなくて、多重的な生き方は割にメジャーですね。すごく良いね。現実世界で出している部分なんか自分の中のごく一部なのはずっとずっと昔からで、誰かとか社会とか自分の中に背負っているものとかに求められたり邪魔されたりして、気がつくとどんどん窮屈に、なんか違うとか思いながら生きていたりするわけだからさ、よいよい。どっちの世界でもみえている部分はその人間のごく一部なのだよねえ皆さん。上手に使えば奥行きがどんどん広がってくるのではないかしら。すごいね。それこそ神話のよう。それにしても「歯」よ。