恵まれた環境の中から生まれた変化など。

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芍薬のお花、すごくゴージャス。

なかなか開かないので調べたら、蕾についた蜜を拭きとってあげればよろしいとのことで、昨日の朝濡らしたガーゼで拭いたのだった。そしたらすぐに柔らかくなりはじめてあっという間に。こちらの問いかけに答えてくれたようですごく嬉しい。

花びらに触れるとしっとりと冷たい。切花も生きているんだ。パッキリと切られているのにね。そこに地面はないのにね。

朝にはあがるといっていた雨が昼頃まで降り続いていた。亜熱帯地方のようなこの湿度こそ梅雨から夏にかけての湿り気だったと思い出し、私の中では今日からが梅雨のスタートなのだった。さっき外に出たら、裏山がむんむんに霞んでいた。いるだけで湿るような空気の充満。

オクラの葉っぱはぼろぼろに虫に食われてほぼ茎だけがひょろんと伸びている。シソも穴ぼこがいっぱい。三つ葉は平気。パセリ平気。虫も選んで食べているのらしい。大自然の中生き残りをかけてそれぞれが。なんて言っている場合ではなく、人間の食料にしたいわけだから後で調べよう。なんとなく後ろめたいので遠慮しいしい。命がけの彼らに対し、自分は命がけじゃないというところが、なんというのかこう、弱みみたいに思えてくる。好きにお食べと言ってしまいそうになるけれど。

冷蔵庫の中身を思い浮かべながら、夕飯どうしよう、食べる物が全然ないなぁ、などとつい思ってしまうけど、食べる物がないのではなく、食べたい物がないのだった。これを食べたい! と決めて作るときはやる気も漲り、鼻息荒く作るけど、何が食べたいのかわからないときは、作ったものすら色褪せてみえるほどにただ消費と消化をするためだけのご飯みたいに感じてしまう。味気ない。

息子氏と暮らしていた頃には、自分が何を食べたいかより、息子氏に何を食べさせたいかという気持ちのほうが勝っていたから、そういえばちゃんと味わってもいなかったのかもしれない。息子氏が美味しいと言えば、それだけで口の中に美味しさが溢れてくるくらいだったし、残さず食べただけで一種の満足感が得られていた。自分の口なんか二の次という感じで。それが夫婦二人の生活になり、自由に自分たちの好みをある程度満喫できるようになってみたらこの変化。良いことなのか悪いことなのか。でもまあ毎日がパラダイスのようにはいかないんであって、だから今日は麻婆豆腐に決めた。