平塚の七夕まつりに行ったこととか。

今日はひたすら書いている。締切が近いのだ。これを更新しようとするこの夕方には、大体パソコンが動かなくなっている。稼動しっぱなしで熱にやられてしまっている。

昨日は平塚の七夕まつりに行ってきた。商店街にどうどうと、大きくぶらさがる七夕飾りというものをはじめて見た。笹の葉に短冊を飾るのとはまた違う、ダイナミックな風情のようなものが感じられた。それに人。人、人、人。屋台、屋台、屋台。地元の人たちがこの数日にかける意気込みのようなものが漲っていて、たいへんな活気だった。すごいなあ、とただ圧倒され、他人事としてその場にいるのはとても心地良い。ちょっとした観光客気分で。

暑いから昼間っから飲んで食べて、歩いてはまた飲んだ。飲めば飲むほど頭の中まで熱くなるのに、わかっているのに飲んでしまうね。トイレがあちこち閉鎖されていて困ったし、やっと見つけて並んだトイレはずっと入ったまま開かないし。中でぶっ倒れているんじゃないかと心配になったけど、膀胱が限界を迎えてやむなく隣に移動した。また一から並びなおしだ。

そういえばあそこのトイレは一列に並んで、開いたところに入っていくというシステムじゃなかった。ずらりと並んだ個室一つ一つに並んでゆくシステム。へえって思いながら、次々入れ替わる左右を眺めていたのだった。

それから、お祭りの終了時刻がやってくると、まだ興奮冷めやらぬ人々がうじゃらうじゃら、というかほとんどみんなが残っていて道路だってがいっぱいだし、屋台のおっちゃんはお好み焼きをどんどん焼き続けているしで、終わらせることなんかできないだろうと、どこかの恋の終わりみたいな感想を持ったけれども、私たちがお店に飲みに入って出た一時間後くらいには、きれいさっぱりいなくなっていたことには驚いた。屋台も、人も、七夕飾りも。撤収の速さよ。蛍の光がごんごんに鳴り響く商店街。素晴らしいね。引き際が。

こうして書きながらもまた物語に戻ったり、外から聞こえてくる雄たけびに耳を傾けたりしている。雄たけんでいるのは誰? それからチーズビッドのことを思っている。もう一時間くらい思っている。想っている。食べたい。