距離感の差みたいなものを感じますがそのうち慣れます。

f:id:yokukokemasugana2ka:20180402130400j:plain

太陽の光を受けたモビールはその意義を存分に発揮していてかわいらしい。小学生の頃の息子が作ったもの。以前の家では日の当らないところにぶらさがっていたのだけれど、引っ越したら絶対に光の当る場所にと決めていた。嬉しい。

モビールの下には老犬さんの寝床があって、揺らめく影が老犬さんの上を行ったり来たりしているのがまた良い。

 

この辺に暮らす人たちは道端ですれ違う時当然のように挨拶をするみたい。そういう交流(と言っていいのか)はとても久しぶりでまだ戸惑いがなくもない。私は彼ら彼女らをまだ全く知らないのだけれども、向こうは全部知っていますみたいな距離感。微笑みと微笑み返し。山道ですれ違うハイカーたちが挨拶しあうあれと同義だろうか確かにここは山の中腹にある住宅地。

東京=不干渉の土地みたいな区別には抵抗があるし、実際17年も同じところに住んでいたから隣近所とは会えば挨拶を交わすし時には立ち話もした。でもいい意味で深入りをしなくて、私はその距離感がとても心地良かった。うちは旦那も自由業だからほとんど家にいるし、いったいこやつらはどうやって生計をたてているのか、などと思われていたかもしれないけれども誰もそんなこと突っ込んでこなかった。だけどこの辺りはきっともう少し濃い交流があるんだろうなと思っていたところで今朝ゴミを捨てに行ったら、「あの角に越してきた人だね」とおばあちゃんたちに話しかけられた。自治会がどうの総会がどうの草むしりがどうのといろいろ教えてくださった。仕事はしているのかとか子供はいるのかとか家族構成はどうなっているのかとか普通にばんばん聞いてくる。私たちが越してきた日にちも隅々にまでいきわたっている感じで、懐かしいような、言葉は悪いが煙たいような気持ちになった。

私が育ったところも田舎だったから、あの家の誰それはこうだああだという情報がぱぱぱんと広まったりなんだりあって、私は正直そういう濃さがあまり得意ではなかった。というかついていけなかった。ということに離れて気がついたりしたのだった。

でも私はまたこういう土地に戻ってきたのだなあ。

上手くやろうとか溶け込もうとか考えてもできないから自然体で、あんまり先入観を持たないようにしてやっていこう、とかそんな器用なことできるのかよ自分。っていうか自治会集団草むしりって。

などと更新してみてタイトル付け忘れていることに気がついた。修正。