修行僧だったり、白雪姫の七人の小人だったり。

夫が抗がん剤の1クール目を終え、一時退院している。帰ってきてまずはじめにしたことは、夫の髪を剃り落とす作業だった。抗がん剤の影響で抜け始めたからだ。

襟足からバリカンを入れ、頭頂部に向けて動かす。

作業を始める前は、髪をちょっと引っ張らせてもらったりして、何の抵抗もなく抜けていく毛に、「おおおっ」などと感動してみせたりとおちゃらけていられたのだけど、いざ準備をして面と向かうと、顔を正面にしてバリカンを入れる勇気がなかった。はらはらと剃り落されてゆく毛束に、胸がぐっとなりかける。

また生えてくるからさと、後ろから、しきりに声に出していた。当然、抗がん剤が終われば生えてくるのだからそれは嘘ではないし嘘をつく必要もないしつもりもない。毛根にはただただ頑張っていただきたい。

想像だにしなかった夫のいびつな頭蓋骨のカタチ、均等に剃ることの難しさ、毛流れの複雑さ、そこだけ日焼けしていない白々とした頭皮。

ああだこうだ言いながら、使い慣れないバリカンに四苦八苦しながらも、気が付くと修行僧じみた夫ができあがった。すごく長く感じたけれど、ほんの15分くらいの間になんとかそれらしくなった。それらしく、の意味がよくわからないけれど。

毛は数ミリの長さで残っている。これすら抜け落ちるらしい。そう遠くない時期に、夫はつるぴかになる。

やがてつるぴかにやなるのだし、と言うと、つるぴか言うなと笑われた。

終わってみれば、この作業、やらせてもらえて良かった。そうしたからって夫の気持ちが全部わかるとは思わないし、私の気持ちも、夫は全部わからないだろう。だけど、世界中の誰よりも、私は夫の気持ちがわかるし、夫は私の気持ちがわかっている。あらためて、そう強く思えたような。

毛が無いと寒いので、帽子をかぶらせる。このために100円ショップで、夫自ら買っておいた帽子だ。格好よくかぶればラッパーにもなれそうなゆるみというかたるみのある、かっこいい形のやつなのに、夫がかぶったら、白雪姫の七人の小人みたいだった。

「これのかぶりかたの正解がわからない」と夫。

正解のかぶりかたをさせてあげるが、気がつくと小人に戻っている。面白い。帽子をかぶっていようがかぶっていなかろうが、ついまじまじと見てしまう。もしくは、二度見してしまう。面白すぎて。

夫との生活は、だからやめられないのだな。

 

 

 

こころとからだ、人間の全部。

久しぶりに今日は自分を甘やかして、なんもしない、とろんとろんの一日を過ごすんだと昨夜決めたのだけれど、そううまくはいかないね。

夫、今日一時退院の予定が来週にのびた。抗がん剤の副作用で下痢、あと好中球の数値が悪く、一昨日には高熱がでた。首からカテーテルを入れてそこから高栄養輸液を24時間入れているのだけれど、そこから細菌が入った疑いがあるとのことでひとまずそれも抜いた。今は腕からの点滴で入れている。来週には、また首からカテーテルをぶっこむらしい。

なんも考えたくないとき、なんも考えずに観るというか流しっぱにできるテレビに頼りがちな日々だったけれど、最近はYouTubeで癒し系の音を。鳥のさえずりとか、川のせせらぎとか。テレビ、ついていてもどうせあまり観てなくて、誰かが笑ったり叫んだりする声だけ拾って、一人感をごまかしていたに過ぎなかった。

あまりにも忙しないおかげで、ベルトの穴が一つ奥になった。12月に入った頃からの夫の急激な体調悪化に引っ張られるかたちで私も食欲を失い、入院直前は、食べること自体が嫌というか怖いような、身体が食べ物をうけつけないみたいな状態になり、もう二度と食に興味をもてないのではないかなんて、その時は本気で考えた。言い聞かせていたのは、これまでだって何度かそういう状態はあって、その都度盛り返してきたやんけ俺、だ。でも、どんなに言い聞かせても急には食べられるようにならないわけで、無理やり奮い立たせて少量口に含むを繰り返し、食べられるようになってからも、味とか、ましてや美味しいとかは全然感じなくて、ただ栄養をとらねば、私が倒れたら大変という気持ちで咀嚼して飲み込むだけだった。が、昨日久しぶりに、このお肉をこうして食べたら美味しかろうとスーパーで、本当に久しぶりにそういう気持ちになれたのだった。人間、すごい。人間、万歳。

 

渦に巻き込まれ困れほまれ。

一年以上ぶりの更新にして唐突に、健康な体を持つとはそれだけで幸せなのだよという話。

2020年年明け早々、夫が入院し、食道がんのステージ4と告げられる。症状はあったからちょっとした覚悟やらありつつも、ステージ4かよと。二人でなんか笑っちゃって。現実感がないから気持ちがふわっふわ。

そのまま怒涛の日々に突入しだのだった。夫は検査検査だし、私は役所とか保険関係の手続きをしながら病院に通う日々である。

お金関係のこと、うちは全部夫がやっていたから、一から勉強するつもりもないけど強制的にそうなる感じで四苦八苦しているけれど、窓口の人がどこも親切にしてくれて、銀行なんか、長時間つきっきりで手続きしてくれてありがたかった。役所のおばちゃんは、「うちの旦那も病気してICUとか入ったりして大変だったわ。頑張りすぎないで頑張ってね。自分が一番大事よ」なんて言ってくれて優しかった。

常識知らないまま歳だけくえちゃってた人間だとつくづく感じる。いろはのいから勉強しつつ、本音は秘書が欲しい。

で、昨日は夫のお母さんとか弟妹とかが、遠くからお見舞いに来てくれた。本格的な治療がはじまるまえにということで。夫の車を売るうんぬんもあって、うちにも立ち寄ってくれた。久しぶりににぎやかな家の中。全然関係ないけど、今、ネックウォーマーの中からご飯の塊が出てきた。昼に食べ落としたものだろう。小指大くらいでのりたままみれ。こんなに大きく落としてなぜ気づかない。そして、なぜ落とす。農家さんごめんなさい。昨日、45歳になった大人女子です。

自分以外の人の声がある家は温かいね、なんてちょっとしんみりするんだろうなと先走って想像していたけど、それぞれが伝えたいこと、聞きたいこと、やることがあり、まあ忙しくバタバタした時間だった。

バタバタは大事。じっとして考えていると良からぬことまで考えてしまいそうな状況のときは、身体を動かすのがいいということを日々身をもって経験中だ。物を捨てまくっている。夫が退院してくる頃には、今の半分の量くらいに物を減らすのが目標。今後、二人で生きていくのに必要な最低限度の物だけ残して、身軽になるのだ。身軽になって、どこだって行けて、なんだってやれるようにするんだ。

夫は今、自分のつばすら飲み込めないけれど、「もう一度旨いものが食えるようになるまでは絶対に死なん!」と言ってるので、死なないと思う。

無と失と破。

午前中にちょっとショックなことがあって、自分の中がうわぁってなった。全部ダメな気がする。存在自体が。何か一つダメになるといつもそうなる。表には出さないけれど。自分と世界の隙間が広がって、気がつくと宇宙に放り出されている。誰もいない何もない息もできない助けもこない。

やめたろかなと思うけど、ここでやめたら何も残らない。何も残らないんだよ何か残したいんだよせめて自分の中にだけでも。

落ち込んで落ち込む暇があったら書いたり読んだりしろよと自分を殴りつけて、目の前にあるものだけを、とにかくそれだけを見るようにして今。

何をしているんやろか。何を何を何をしているんやろか毎日毎日本当に私はいったいこの人はもうどこに誰に何をされに生きて生きて生きていますのやろか本当に。自分は何をして。

全部が無意味のつらなりでしかないような、ようなではなくその通り過ぎて糞。いっそのこと全部捨ててやめて吐いて、まっさらになったらいいような気がするけれどこれは逃げ。パンチパンチパンチ。自分の中に無いものはもうどうしようもないのだけれど感性とか鋭さとか「は? それなんですか」ってなものだし、武器もない。ないないない。なんにもない。ないのに着飾る、あるふりをする。羨ましがる。望む求む。黙れ俺。俺は俺。

語彙瀕死。

 

光臨待ち。

なんかもう、ほんともう、書けば書くほど行き詰るの創作地獄よ。ひたすらパソコンに向かっていると、視野が狭くなって目の前の現象だけを追っかけてしまいい狭い狭いやり取りになる。でもパソコンから離れるのも気が引ける。この苦しみの中で生まれる一文字があるかもしれないという未練だろうか。ぐおおおおおお。チャリンコを漕ぎまくったり美味い物を食べまくったり、セックスしたり大金を手にしたりすれば全てが丸く収まるんじゃないかしら。誰か。

毎度毎度なにを好き好んで地獄にお邪魔しているんだかなどと思いながら、しかしこれを味わって越えねば、作品は完成しないのだった。座椅子に触れている背面はどろどろの汗まみれ。そろそろ枝豆のにおいがしてくるはず。香ばしいやつ。空をみよ、広い広い白さに何かこう啓示のようなものは見えぬか。見えぬ。神々しい何かよ。

金曜日は家中に掃除機をかけて。

急に秋めいたと思ったらまた夏が戻ってきた。暑くてじめじめしていて不快。しかしまあ、あの地獄の窯のようだった時とはやっぱり違って、風が吹けばいささかしのぎやすい、か?

台風一過というほどの晴れ間はなく、灰色の雲が右から左に早い流れで続いている。その隙間から生まれたてのような淡い色の青空が。朝から洗濯を干したけれど、ちっとも乾きそうにない。

 

昨日は近所でやっていたくじ引き大会みたいなものに行って来た。システムがわからないまま参加したらお金がいった。そうなのか、と思いながらも払って、ガラガラをまわした。出たのは緑色の玉。三等賞の金券1000円分が当った。

主催者側の大人たちはみんな酔っぱらっていた。参加者に向かって大きな声で「ゆっくりまわせよ」とか平気で言っている。「みんな待ってるんだから急げ」と怒鳴ったりしている。言われた人も「ぜんぜん当んないじゃないの」とか言っている。どちらも笑ってるから、そこには深い関係性があるのだなと興味深く見ていた。

黒塗りの車の運転席から白い手袋をはめた男が降りてきた。ワイシャツにスラックス。車は、こんなとこに停めていいのかというところに駐車されている。偉い人が乗っていると一目でわかるような車だった。手袋の男が後部座席のドアを開けると、そこから偉い人と一目でわかる風貌の男が出てきた。ドアぐらい自分で開けたらどうかと思う。立派な手がついているのだから。男は全身くまなく清潔で、くまなく偉そうに見えた。やあやあやあやあ、と腕をあげてどこぞかに向かって笑いながら、周りの人間を蹴散らすように歩いていた。男の目はきっと、自分に意味のある人間しか映らないようにできているんだ。

 

狂ったように鳴いていたセミたちの勢いが少し弱まってきた気がする。蝉の声で起きるという困った状態からようやく解放されるかもしれない。

 

低空飛行ながら書き続けている。一日最低でも三枚は書こうと決めてやっているが、本当はもっと進めなければいけないのだ。間に合うのか。心が閉じたようになっていて、これではいけない。開いてみつめて奥に進まなくては。上滑りの言葉からは何も生まれない。

どこか遠くに旅をしたい。

今、切り替わってますね。

急に空気が秋めいてきて、それはそれで焦る。大変だ、もう今年が終わってしまうよ。

最近は空ばかり見ている。雲の変化が激しくて、飽きない。広い空が見えるこの家にも、広い空を見ることにもいつか飽きるのだろうな、などと思いながらはやくもセンチメンタルになっている。今を楽しめ。

昨日は湘南平というところに行って来た。山なのか丘なのかわからないけれど展望台があって、全方位どどんと見渡せる。海と空と山と家々と、新幹線も在来線も、プールも学校も病院もみえる。昨日はうっすらスカイツリーや恐らく新宿のビル群もみえた。今の家もみえた。風が強くて吹っ飛ばされそうだったけど、すごくいいところを見つけたなと。きっと通う。夜は星もきれいだろう。

あとは書いて書いて読んで書いてみたいな日々。〆切が近づいている嵐の前の静けさといったところか。片道三十分、ノンストップでチャリンコこいで図書館行ったら休館日だったり、ゲリラ豪雨に打たれたりしながら、暑いだの涼しいだのと言っていた。少しずつ、息子氏に送るための食料を集めている。野菜不足が気になるけど野菜は入れられないしとか、レトルトで美味いやつがいいかなとか缶詰くわねえだろうなとか。ダンボール一個分くらいたまったら送ろうと思う。早くたまるといいなでもその前に会えるといいな。

季節が切り替わる瞬間に今、立ち会っているのだね僕ら。