相反する思いを吸い込んでマイク。

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GW初日に詰め物が取れたので、本日歯医者に予約の電話を入れた。それだけでもう今日の私は頑張ったということになる。歯医者恐怖症というのはそういうことだ。電話するだけで震えるということだ。ヘロヘロでモヤモヤということだ。よきに。

それが今で、くるっと遡ってそれ以前にはカラオケに行ってきたのだった。いつぶりか。数ヶ月? 年単位? 引越しもあったしそれ以前にそう頻繁に行かないからもしかしたら年で行ってない。いや違う。あれは同僚との飲み会の後、しゃんしゃんしゃんとゆらゆら楽しくわいわい行った、あれは確か昨年の春かもしくは秋だった。その時着ていた服を思い出してみればだいたいそんな季節。

しかし鼻歌で歌う分にはいい調子なのに、マイクを持つと何故あんなにもひるがえる声よ。声よ。私の声は私らしからぬ声に聞こえてでもこれが私の声なのかぁって思っている間に進んでいくメロディたちよ。マイクを握ったまま置いてけぼりになってしまうよ。それでも楽しくぐんぐんと歌って、平井堅の「桔梗が丘」で涙腺が崩壊して私の泣き声がマイクを通してうおんうおんと響いていた。あの歌は反則。絶対に泣く。反則でも泣いても歌いたいのよどうしても。息子氏の名前とか叫んで叫んで、二度も歌った。こうして諸々の思いはきっと浄化されてゆくのだろうな。心ではマジで鬱陶しいくらいに思っていても、相手にぶつけてはいけないことが世の中には多すぎやしませんか。人間関係というのは、たとえ恋人でも親友でも夫婦でも親子でも別人格どうしの交わりですから、親らしくとか妻らしくとか社会人らしくとか大人としてとかそういう糞みたいな壁がなくては成り立たない世界に今私は生きているのだった。そうだった。そういう縛りは時には必要、って時にはってのがまた糞だけれども、痛い思いをたくさんたくさんして分別を学んできたけど時々邪魔だし糞だなと思ったりもまだするんだよ四十代。四十代ってもっと大人だと思ってたけど、案外と中身は変わっていない部分も多くて、ただ面倒臭い人になっているみたい。どっちにも言い切れない感じが余計に。

今日は金曜日で今週も淡々と書き物週間なのだった。早朝から脳内を放出する状態で。スイッチを。脳内の情景は進んだり立ち止まったりするからね、見逃さないでね、誤魔化さないでね、小さきことも拾って集めてどうか忘れずに。