トイレ問題の終結でトイレ関係の話はおしまい。長かった。

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なんて美しいのだろうと思いました。こういう心惹かれるものに出会うと、それまで出会ったことのある、経験したことのある何かに、この瞬間を重ねてしまう癖があって、それはもう本当に勿体無いことだなと思うのだった。たとえばアジアンちっくよなとか、たとえば英国風のお庭のようだとか翳りがアンニュイとかそういう映像というのかイメージ図みたいなもんがばっと浮かんで、勝手にカテゴライズしてしまいがちで、そういうのではなくもっとこう、新鮮な新しい何かのはずなのに、わかっていることみたいに納めてしまうことをやめたい。この気持ちは、この瞬間は、そんな簡単なものではないはずなのだ。お前ごときが何を知っているというのだね。アンニュイってなんなのいったい。

 

トイレ問題がやっと解決した本日の午前。やっぱり想像していた異物が詰まってましたがな。異物じゃねえよつって大汗かいて他の部分をキレイにしてくれてた業者さんには申し訳なく、申し訳ないけど仕方なくありがたく感謝して、色々キレイさっぱりして結果的にお得感満載なのだった。

これでこころおきなく便様を放出できる。といってもこの間、放出していなかったわけもなく、そういう図太さは大人になって良かったところ。幼い頃も図太くありたかった。忘れもしないが幼稚園のトイレがぼっとんだった。ぼっとんは幼い私にとっては未知の代物で、未知の癖に最初からもうマジで本当に怖さMAX。あの黒くて暗い穴はなんなの。風がびゅうびゅう通りますけれども。あんなもん手が出てくるに決まってます。幽霊が下から覗いているに決まってますでしょ絶対に落ちるし引きずりこまれるしめちゃくちゃになってぐちゃぐちゃになってその穴の下から上を見上げる自分とか、そういうもんまでくっきりはっきり想像しちゃってだめなのだ。その絶望感たるや、そんな言葉知らなかったけれども、けれども私は完全に囚われて、跨ぐどころか近づけもしなかった。

みんなはなんで簡単にトイレを出入りできるのか。自分はなんでできないのか。混乱の局地でできるのは耐えること。誰にも恐怖を言えないままに震えながらおしっことうんちを耐えていた。毎日毎日ずっとずっと。

で、漏らした。

漏らしまくった。

母に事情が説明できたのはその後のこと。

先生と親が話し合ってある日、一個の個室に連れられて私。ここの穴が一番浅くて色は黒でもなく茶に近いでしょう。だから大丈夫でしょう。手も出ないし顔も覗かないし見てこれ、人が入れるような穴ではないのよ。それに我慢しているといろいろ身体に良くないのですよ病気になりますよそしたらもっと大変で痛いし辛いしね。などと説明なのか叱責なのか諭しなのかその全部なんだろうことを言われたけれどどうしてもできなかった。

私はあの頃の私に言ってやりたい。悲観することはありませんよ、そう遠くない未来にぼっとんなんか消えてなくなる。図太くもなる。カモンぼっとん。ぼっとんウエルカム。信じられないかもしれないけど人間は刻々と変化している生き物ですからその時を待てばよろしい。怖いものは怖いと感じる力は偉大なのだから大事にして!

とか書いてて思ったけど、今の子らはぼっとんの存在を知らないのですからそこから手が顔が!なんて想像して怖がる体験も存在しないのだね。それってなんかすごいことではないかしら。存在が消えてそれに付随する体験も存在しないってところが。ぼっとんに纏わるあれやこれやが全部全部なくなってしまうこと。