光が温かくておセンチ。

f:id:yokukokemasugana2ka:20160605054216j:plain

 

今朝は窓から差し込む光の中で、昔の事をたくさん思い出していた。光が、幼稚園とか小学生の頃に風邪で寝込んでいた部屋のそれととてもよく似ていて。子供の頃は、平日の昼間に明るい部屋で布団の中にいるというだけで、すごい贅沢をしているみたいに、ご褒美みたいに感じていたとか、仕事に行く母が枕元に置いてくれていたポッキーを刺したグラスとか、サッポロポテトもあったなとか、新品の「幼稚園」っていう雑誌があったり、天井の模様、電気の笠、帰ってきた母親の足音とか、安心の気持ち、好きが一杯あったなとか。

あの和室に寝ていたのは二年生くらいまでで、もっと前は家族四人で頭を寄せ合うみたいに寝ていたとか、咳で苦しい夜とか、ダブルベッドが登場したり、そこで寝たいって駄々をこねた私がいたり。

私たち子供がそれぞれ部屋を貰うと、両親はあそこで二人で寝ていたけれど、父のいびきがうるさいとかですぐに母は階下の和室に布団を移動していたなとか、ベッドはいつまであっていつ処分されたのだっけ、その経緯が全く思い出せないのだったけど、家族新聞を作っていたこともあったんだ。その辺りから灰色、順に暗黒時代に入っていくんだったとかいうことを、床に仰向けになってぐるぐる思い出して2時間くらい。電話もなったけど出なかった。玄関チャイムもなったけど出なかった。

楽しい楽しいばかりのおちびちゃんだったのに、記憶の中で私は急激に大人びるのだった。人々の思惑や現実の厳しさ、己の心の醜さに気づいてしまって後戻りはできないのだった。卒業写真の私は、本当に悲しい顔で写っている。その顔が今の私に焼きついている。あのおちびちゃんも悲しい顔の女の子も私の中にずっといて、一緒にいて、悲しいと泣くから、嬉しいとはしゃぐから抱きしめて慰めて手をつないで大丈夫っつって、私を見てよほらこんなにも。花や木々の名前をもっともっと知りたいとか、富山に行きたいとか、いろんな人とつながりたいとか、ケジャン食べたいとか、何より今すごく楽しいよってぎゅうっと抱きしめて言ってあげたい。生きていてくれてありがとうって。