大きなキャンバスは元スカート。

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できあがったカーテンの上を横断する老犬さん。

これはキャンバス。アイロンをかけてから絵を描く。カーテンの形にする前に絵を描こうと思っていたけれどそこは変更。大きなキャンバスに描きたくなったから。わざと丈をちぐはぐにして愛嬌をだしてみた。布を貼ったりボタンをつけたりもしようかな。

着なくなったスカートがこんなかたちになりました。何より。

こんなふうに、ゴミ箱行きになりそうなものを材料にしてさまざまなものに創作している。今は布をやりたい気持ちなので布だけど、落ちている枝とかでもやる。一つずつ時間と手間をかけて作るので量産はできないし、同じ顔をしたものはない。世界でたった一つだけの存在になる。する。

 

今日は一日雨模様だった。風も強い。ひきこもるには最高の天気である。晴れていると外に向かう気持ちが生まれてきて、穴蔵にこもっていたい自分と戦い始める。それだけでそわそわする。

風の強い場所で生まれ育ったせいか、風の音が大好きだ。浴びるのはあまり好きじゃないからごうごうという音を家の中で聞いていたい。

そういえば子供の頃は風の中を歩くのが大好きだった。向かい風の中、口を大きく開けて立ち向かっていくのが好きだった。口の中に風がびゅんびゅん入ってきて、息を吐くのを忘れてしまう。喉を通って風が体内に入り込み、おなかの中で大暴れする図を想像した。内臓のしくみなんてわからなかったから、想像の中のお腹はサーカスのテントみたいに大きな空洞で、その中にはお昼に食べたおにぎりとかウインナーとか何故かうんちとかがそのものの形で転がっているのだ。それらが暴れまわる風に吹き飛ばされて舞い上がり慌てふためく様子。途中からはおにぎりたちに交じって自分も風にぐるんぐるんに弄ばれて笑っている。気がつくと現実の私の口からは涎が垂れていたりなど。

ふと思い出したけど、自転車に乗って目を瞑り急な坂を降りる、みたいなこともなんであの頃はできたのだろう。あの時の「絶対大丈夫」っていう確固たる自信は後から振り返れば可笑しいね、結果怪我したしね。

今くらいの人生経験を積んだまま子供の頃の無茶さとか発想の豊かさを持ててたら最高だと思うのだけどどうですか。経験があるから無茶はできなくて、無茶しようと思ってする無茶はもう子供の頃の無茶とは違うのだろう。考えてみたら経験というものは生きているだけで積んでいってしまうのものような気がするし、経験やめます、とはできないのだね。それはそれでなんというのか、片道切符感満載というか、後戻りが効かない感じはなんだか少し恐ろしい。生れた瞬間から一瞬一瞬着実に「老」に近づいている私たちみんなが。老いることが嫌だとはっきりと思っているわけでもないけど、経験を積んだからとて素晴らしい「老」が待っているかといえばはっきりしないし知らないし。知らないから怖いというのもありましょう。かと言って、子供の頃に戻りたいかといえば全然そんなことはなくもないけどほとんどなくて、こういうこと考えること自体が贅沢な気がしてきたのでやめる。