見えないつながりは確認のしようがないけれども。

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長い写真で失礼。午前中から午後にかけて書き物で、その後はこれを解体する作業に取り組む。思うのだけど私は壊すという作業が好きらしい。壊す、解く、分解する、解体する。ほじくるは仲間にしていいだろうか。違うか。ほじくるも好き。

昨夜はこれからやりたいことチャレンジしたいことがたくさん浮かんですごかった。あれをあんなふうに作りかえたり、こんなものを何もないところから生み出したり、石に絵も描きたいし、手製のカーテンにまだ絵が描けてもいないし、気味悪いぬいぐるみも作りたくなって、あれとあれを使って不恰好なスカートも作りたいし、額縁もつくってあれを飾ろう、全く終わりがないのだった。こういう手仕事をしている時によく頭に浮かぶのは祖母ちゃんのこと。祖母ちゃんはおかんのおかんですでに他界してしまっているけれども、その祖母ちゃんはとても器用な人だった。いろんな種類のぬいぐるみとか小物をたくさんたくさん作って、人にあげたり売ることもあったのじゃなかったか。離れて暮らしていたのでそのあたりは曖昧だが、ハンドメイドなんていう言葉が今ほど一般化するずっと前からそういうことをしていた人だった。全くもったいないことに、私は祖母ちゃんが生きている頃、その手から生み出されるそれらになんの興味も持たなかった。もともとぬいぐるみに興味のない子供だったし、私がかわいいと思う前におかんが「かわいいでしょう」などと言うと、自分がそれに対してどう思っているのかがよくわからなくなってしまうのだった。かわいいと言わないといけないんじゃないかという気持ちが先にたつのか、そのうち、祖母ちゃんのぬいぐるみが送られてくると「またか」と思ったりもした。

今になって都合よく思い出すのも申し訳ないけど、祖母ちゃんにもっといろいろ学んでおけばよかったとかももちろん痛烈に思うのだけど、それよりなにより祖母ちゃんの血が私にも流れているという心強さがくるのだった。私は祖母ちゃんのように器用ではないし、祖母ちゃんが生み出していた世界とは全く別の世界を目指しているのだけれど、それでも祖母ちゃんが応援してくれているのを感じる、ような気がするのだった。糸くずすら愛おしいというような。

しかしお前は都合のいい時ばかり私ら死に人を頼ったり解釈したりするからに、そういう図々しさはいったい誰に似たものだか本当にわからない。と、きっとまあ呆れられているのだろうな、あの世で三人、いやもっと。知った顔の人たちが並んでいる。