確かにそこに存在していたはずの気持ち。

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ポシェット。ハードカバーの本と携帯が入ったらいっぱいの大きさ。一階と二階を行き来する時に老犬さんを抱えると他のものが持てないから何往復もしなくちゃいけないことになり、それを解消するために作った。採寸もしないで布をがっと切ってミシンでざくっと縫って刺繍をちくちく。家用だからいいのだ。

昨日は旦那氏のお母さんと弟くんが我が家に遊びに来てくれて楽しく過ごした。遠くまでわざわざありがたい。旦那氏のご家族には本当に良くしてもらっていて、お世話になりっぱなしの甘えっぱなしなのである。出来の悪い娘が一人増えたというように可愛がってもらっているのだった。家の中をぐるっと見てもらって、お茶を飲みながらそれぞれの近況などを語り、サッカーとか山ヒルとかの話と、本当はもっと大事な話もしたのだけどそういう部分はあまり書けないね。

お父ちゃんの件があってからあらためて、会いたい人にはちゃんと会おうとか、「いつかきっと」なんて思ってないで今動け、行きたいところに行って、やりたいことをやる、を意識するようになったけど、あんまり一気には変えられないから徐々に。なんて言ってると今はどんどん過ぎてゆくのだけれども。

楽しく一日を過ごした昨夜は布団の中で自分にとっての自由とは、というようなことを考えた。今の私は限りなく自由ではあるけれども、果たしてその自由を自由に泳げているかというと、実はそうでもないのだよ。自由とゆうのは取り扱いが難しいというか単純に私が持て余しているだけかもしれない。そんなことを考えていると、本当に君はいったい何をしたいのかという問いに行き着く、いつも。

やりたいことをやっているとちゃんと思える日であっても、何故かいつもどこか後ろめたかったり、物足りなく思えたり不安になったりしてしまう。わかってる。今はまだ単なる独りよがりだからね。毛穴から汗と一緒にどろどろしたものを出しているだけ。誰にも気づかれないままにそっと。そのどろどろがいつか実を結ぶ日がくるといいのに、とかまたほら「いつか」の襲来。

視点が今なのか未来なのか過去なのかその切り替えが、私はきっとあまり得意ではない。私はどこを向いて歩いているのでしょうかと誰に? いつもの調子でこれを書いている窓からは涼しい風がちらほらと、空は雲ってまいりました。確かに楽しい一日だったのに。