ガラスの森美術館はそれはもう好物の宝庫でした楽しい。

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箱根に行ってきた。東京で暮らしたいた頃は遠いイメージだったけど、今の家からだとものすごく近かった。朝一の空いている道路で一時間かかるかかからないかという具合。あの箱根が近いなんてなんだかすごいね。

お目当てのガラスの森美術館は、予想以上に(キモ)可愛いものがたくさんあって興奮のあまりトイレに行くのを忘れる。危なかった。ガラスって素材としてはあまりなじみがないしワレモノということで取り扱い注意、おっかなびっくりなのですよ。私はかなり物を破壊する人だということもあって。そういうお店などに行くと、旦那氏が私の後ろからくっついてきて「気をつけろよ、ああほら、リュックの幅を考えて動けって、肘!」と保護者のようになる。こった物だと細かったり薄かったりして余計に神経が張りつめる(旦那氏の)。

自分の身体上下左右ぐるっと意識をびんびんに研ぎ澄ませておくというのはとても難しいことですね、そんなことないですか。みんな自然にできるのかな。私は目の前のその一点に集中してしまう、と恰好良い風ではなくて、ぼんやり注意力散漫なのだった。こっちを見ているとそっちが疎か、見ているようで見えていないのだけど、みんながもし自然にそういう研ぎ澄ましをしているのであればすごいなと思う。車の運転などはいい例で、進行方向を見ながら歩行者も信号も標識も後ろも横も足の具合も手の操作もスピードも確認するなんて私からしたら超人だ。免許は一応あるのだけどね。

教習所を卒業する時、とある教官から「試験を受ければ免許はもらえるかもしれないけれども、あなたは免許を持っても運転しないほうがいいですよ」と言われたことを夕暮れの今思い出す。

ガラスの森の話だった。

たまたまその日、バイオリンのミニミニコンサートみたいなのが開かれていてせっかくだから聴いた。奏者は外国の人だった。狭い会場だから奏者との距離も近くて、彼がいるだけでなんというのかオーラというか迫力がぐっとこっちに押し寄せてきてすごかった。バイオリンを弾いているだけなのにミュージカルを観賞したみたいに物語が、彼の身体や表情から感じられるのだった。レ・ミゼラブルからの一曲などはよくわからないけど涙がボロボロ出て、ああみなさん素晴らしいですよね、何がどうと言い表す事はできませんが、と周りの人をみたら誰も泣いてなどいなかった。演奏の後、ブラボー! と叫んでいる人はいたけれど。ブラボーってこういう時に使うのかと勉強になったけれどブラボーという気分じゃないような気がしてひっそりと鼻をかんで誰よりも大きい音で届きますようにという願いをこめて拍手をした。届いていたらいいけどな。

ガラスはそう、キラキラしていて、自分がコワレモノだということを充分に自覚しているみたいにそこにあった。それぞれがとても堂々としている。壊すのはいつもこちら側であってガラス本人ではないからかもしれないなとか考えながらとくとみてきた。

時折、私が変な方向にカメラを向けて熱心に撮影しているから(彫刻のライオンの尻とか)他のお客さんがそこに素晴らしいものがあるのかと私の視線とレンズのその先を行ったり来たりなどしていた。わかるよその気持ち。せっかく来たんだから全部見逃したくないよね。観光地にいるというだけで、そこにいる人々は日常よりも幸せに見えるし、私も幸せだったもの。