念が入るから悪い事は頭に浮かべるのもダメなんだって。

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昨日は息子氏が小さい頃からの友人家族二組が我が家に遊びに来た。引越した家をとくと見てやろうでないのと鼻息荒めで。家に続く坂坂の連続には文句垂らしていたけれど家についたら元気に即宴会が始まった。

久しぶりの昼酒。私だって年中酒を飲んでいるわけではなくて、基本昼酒は元日と彼女らに会った時にしかしないって誰に向かって言い訳めいたことを。

子供らが小さい頃まではごく近所に住んでいて自然な流れで夜中だろうとお互いの家を行き来するような濃いい間柄となった。だけど諸々の事情で二組とも引っ越していって、それでも一年に2、3回は集まってわいわいやって泣いたり笑ったりしてきた。子供らはもちろんのことだが親同士だって子供ら全く関係なく喧嘩もした。でも関係は途切れなかった。年齢もバラバラだし性格もめちゃくちゃ(それぞれが)だし、生きてきた過程も仕事も何もかも違うのにママ友とかでなく深い関係になるって大人になってそうそうないことかもしれないけれども。感謝。

私も含めてだけど、会えばみんな遠慮がないし口も悪いし思ったことをそのまま口にするから、会うたびに心のどこかが傷んだり揺さぶられたりするのだった。でも私の知らない世界を独自の視点で教えてくれるのもあの人らで、私のこの狭い狭い狭い世界に風穴を力ずくで開けてくれるのもあの人ら。最新美容健康事情とか美味しいもの諸々とか生き方指南みたいなやつとか、いったい誰にいつ教わりますかと思うようなレアないろいろが口からというか身体全体から溢れている。おでこに「ザ・バイタリティ」って書いてあげたいいつの日か。みんなを一列に並べてな。

バイタリティ値が底辺の私は、なんというのかあの人らのパワーに圧倒されて吹き飛ばされそうになることもある。外向きじゃない自分をすぱっと否定してしまいそうになるというのか間違っているのでは? と不安になったりもする。間違いってなに?

私は私でしかなく私を偽るのが=間違いなのだと日頃意識して「私」であろうと訓練中なくらい「私」というものにうっとい人生を送ってきた私はバイタリティの塊に遭遇すると、もうてきめんにぐらぐらに揺らぐけれども、私は私の決断でもって自分のやりたいことをやっているのだからそれでいいのだ。と、訓練中だからそうあえて口に出す。ここにも書く。「私」多めで。

 

まるで昨日が楽しくなかったような文章の展開になってしまっているかどうかもよくわからないけど、楽しみ深みは本当に楽しみ深く、そりゃもうゲラゲラ笑いながら時間はあっという間に過ぎていった。過ぎていってしまったのだよ。

次に会うまでにまたそれぞれが楽しく大変に生きていくわけで、当たり前に普通にさらっと人生って過酷だなって思う。過酷をいかに笑い飛ばして前向いて「私は大丈夫!」つって生きていくかってことなんだよなっつって。