トイレは大事だし一大事だし。

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階下からずどどどどどと大きな音が聞こえてくるのはトイレが詰まったから。もう一度言おう。トイレが詰まったから。

すっぽんていうのかしらあの棒に黒い半丸のついたあれをわざわざ購入して届いた今日の午前中にいざ格闘していたのだけどうんともすんとも言わずにいるから、いよいよ専門家にお願いした次第。

今時のトイレは巨大な便様くらいすいすい流してくれるから詰まった原因は別にある。それは陶器の皿なのだった。あったはずの皿が見当たらなくてトイレが詰まっているということはそれが便器に落ちたということで間違いないでしょうよ、ねえ。

バキュームとか便器を取り外してどうこうとかいろいろ試行錯誤というか専門の人がそんなんじゃ無理っつうんで今、高圧洗浄の何かで何かをしているところみたい。大事らしいのでした。

偶然にもありがたいことにトイレが二つある家だったから一箇所詰まってももう一つを使えばいいわけで、それは、階段をいつもより多めに上り下りする程度ですんでいるのだけれど、もしトイレが一箇所しかなかったらどうしていたのだろうと考える。これが前の家であればコンビにまで三十秒だからまあいいけど、それでも嫌だけど、今は山を降りてふもとのコンビニまで行かねばならず、そんなこと本当に可能だったかどうか。途中で出るわ。

トイレ二個もいらなくね? なんて言ってた自分をぶちのめします。

で、なんか旦那氏、トイレつながりで、とか言いながら無事なほうのトイレもひっくり返したり分解(?)したりしはじめていて現在両方使えないのだよ実際。これ、もし専門家が取り組んでくれているあっちが今日は直りませんってなったら「ふもとまで降りる」が現実味をおびてくるのでないかしら、今の今。

そして私は大昔、実家がいよいよ水洗トイレになるという日のことを思い出した。母は私と兄を個室に呼んで、まだ便器の取り付けられていない床にあいた穴を指差した。

いいですかよく聞いて。私らが出した物はこんな小さな、たったこれだけの空洞を通って下水道に流れなければなりません。こんな小さな穴ですからね、排泄物以外のものを流したり、ペーパーをくるくるくるくる多く入れたりしたら、即、もう本当に即詰まって溢れて大変なことになりますからあんたたち絶対にやってはいけません!

とそりゃもうしつこく、叱り付けるような勢いで言っていた。

私は恐ろしくて、ペーパーをほんの少ししか使えない日々を送った。全然拭けていなかった。うんちがあの穴を通るのか心配で便秘にもなった。

母にとってもその穴は頼りなく、すぐに詰まってしまいように見えたのだろうな。それが今はもう和式便器の生産中止ですってよ天国のおかん!

時代は勢いよく流れております。うちのトイレもそのぐらいの勢いでこう、ごーっと頑張って復活していただきたいのだけれど。

そんなこんなで諸々に集中できない一日で、うろうろと書く作業をしながらも進んでいかないのだった。進んでいかないのだけれどやめることもできずにうろうろうろうろこの時間までパソコンの前にかじりついていたことって無駄なのか必要な時間だったのかがいつもよくわからない。そういう苦しみ、というのは今日に関しては大袈裟にしてもでないのに踏ん張っているみたいなね。そういう時間。うんちだって出ないのに踏ん張り続けたら尻が傷む。でもそういうところからしか生まれないうんち、もとい、文章だってあるわけだから、どっちがどうとは言えないのかな。結果として無駄だったとか、結果として無駄じゃなかったとか、後からついてくるものだから今あるのはただ今日はそういう一日に自分がしたという事実のみっていうのはやっぱりどこからみても一人ぼっち。